2021年1月に神戸の新長田にグラップリング専門のジムとしてOPENした「OVER LIMIT JIU-JITSU神戸支部」では、現在新規メンバー募集中!初心者も歓迎です。

手をポンポン叩くおばあちゃん

手をポンポン叩くおばあちゃん

前回の話の続き

僕がよく訪問する部屋のおばあちゃんはとても可愛らしい人で、笑顔が素敵だった。

 

カフェオレが好きみたいで冷蔵庫にはいつも大量のカフェオレが常備してあった。

いつも部屋に入ると

「お腹空いた!パン食べたい!お願い!パン買ってきて!」

と頼まれる。「僕らは勝手に買ってきたらあかんことになってるんですよ~ごめんねー」

と言うのが会話の初めのお決まりのパターン。

僕は代わりに冷蔵庫に入っているカフェオレを飲ませてあげてた。

多分ご飯を食べたことも忘れてるんだろうなーと思った。

そして、このおばあちゃんはベッドから起き上がる時に物凄い反動を使って俊敏に起き上がってくる。

これはちょうどグラップリングでフックスイープを仕掛ける時のような動きに近い。

こんなに反動をつけて起き上がるのって高齢者がやっても怪我とかしないのかな?って心配したけどこのおばあちゃんに関しては全然問題なさそうだった。

 

おばあちゃんはいつもポンポンと一定のリズムで手拍子して何か考え事をしているようだった。

おばあちゃんは筆で絵を書くのが好きらしく、小さな頃の思い出はお母さんと一緒にお習字をした事がとても楽しかったみたいだ。そして年の近い妹もいてよく遊んでいたらしい。

でも施設ではお習字はできないから悲しいと言っていた。

僕はAmazonで調べて水で描ける習字セットをプレゼントしようかと思ったけど、トラブルを避けるために規則で物を渡すのは禁止されていたので結局なにもあげれなかった。なんだか虚しく感じた。

 

そんなおばあちゃんはある日、「もう何もしたくない、もうはやく帰ってちょーだい。」って布団の中に隠れてうなだれて泣いていた。

その日はいつもやっているリハビリは全部中止にすることにした。

そして話すだけにしてみた。僕自身がその時何の話をしたかはあんまり思いだせないけど、

おばあちゃんは
「1人でこの部屋にずっといると自分のことばーっかりになってまう、、、」
と言っていた。

僕はその言葉にすごく納得して「うんそうだね」と返答した。

その時、僕は認知症が進んだおばあちゃんがそういう風に自身を鑑みていたことに内心驚いていた。

 

 

僕はこういう状態の人のなにが苦しいかって言ったら、やっぱり自分の考えていることや関心事にのみ執着してそこから離れられないこと。

 

普通に仕事とかスポーツしてたりしたら時間が来たら強制的にリセットボタン押される訳なんだけど、

それがないのでいつまでも終わり無く、身の回りの解決することが困難な問題や事象が、頭の中をグルグルと際限なく巡ってしまって脳はその答えを検索し続けてしまう。

 

だからたまに外の世界から来た人に、自分の解決不能な問題についての、なんらかの解答を求めてなんの脈絡もなく唐突に一方的に話し始めるのだと思う。

 

本人の脳は問題の何かしらの解決を求めているが、この状況においてはいま切迫してその問題を解決する必要がないのだと気づかせることが最優先。

 

問題の程度は、先程のおばあちゃんの場合はパンを食べたいっていう原始的な欲求になる訳やけど、当事者の年齢や時期、興味の範疇によっては家庭内不和や学校職場の人間関係以外に、政治、経済、宗教、思想etcの様々な時事問題などにも及びこれらが絡み出すとタチが悪い。

 

そして当然のごとくそういった時事問題は意見が割れやすく、日常会話で頻繁に議論をふっかけてしてしまうとまず間違いなく人と衝突するし、それが毎日続くと周囲の人間は疲弊してしまう。

 

当人が考える問題の解決方法とは異なるアプローチや提案があったとしても認めたり取り入れることが難しくなり、結局投げやりになってしまう。

そして社会から疎外されたと感じる。

 

しかし恐らく当人にとっての「社会」とはぼんやりとした集団的規範のイメージしかなく、実際の所 「社会=群れをなした人間」という図式が頭の中で成り立っていないのかもしれない。

 

今目の前で話している人も、社会=群れをなした人間の一部であって、結局は今目の前にいる人間やコミュニティにどう対応していくかが自らに課せられた「社会問題」なのだということに気づけていないように見える。

 

つまり社会の中で生きるということは言い換えると、「人間という名の動物の群れや個体の習性を理解して対応しながら生活する」ということになる。(自分の中ではw)

 

しかしそれに気付かずにいると、自己の関心のある限局的な社会問題に関する、歪んだ知識や個人的な体験の蓄積に基づいた社会の虚像と戦い続けてしまい、身近な課題よりもより規模のでかい社会的事象の方に逃げてしまう。

 

また現実にいま目の前にいる相手も日常生活で様々な問題を抱えているということを全く想像出来ていない場合が多い。

 

僕はこういった精神状態に陥ってしまった場合に1番大切なことは、
「いまこの現状からどういったプロセスで切り抜けるか、どのようなマインドで耐えるか」ってことだけに集中してそれ以外の複雑で優先順位の低い情報をすべてシャットダウンすることだと思う。

 

そして身近な人との会話の中からヒントを見つけて、自分が否定している考えも一度は試したり、大して意味がなさそうな興味もないことでも必要であればなんでもやってやるぞっていう気概もいる。

 

そういう全く関係なさそうな経験が困難な問題解決の糸口になっていくはず。

この思考の展開のプロセスは柔術やグラップリングとよく似ているし、それによって培われる良い面だと思う。

 

おわり

代表日記カテゴリの最新記事